逢ったことのない祖父の背中が、
東京のはずれにあるマンションに住んでいて、部屋をでると、目の前の共有スペースに椿が植えられている。
見事なピンクの椿が一輪。
マンホールの蓋の上に花を咲かせていた。
外気はすっかり
春めいていて
小鳥の囀ずり
も
どこか陽気に聞こえる。
僕は
数えで四十二回目の春を迎えようとしている。
祖父は
父が八歳の時に亡くなった。
つまりは
僕の存在は知らない。
想像は
していただろうが
生前目にすることは出来なかった。
当時の父が
僕を想像すらしていないことも
推察には易しい。
父は今年数えで七十回目の春を迎えるから、祖父は60数年前に亡くなったことになる。
時代、土地、思想。
祖父は
何を
みて
何を
なしたかったのか?
僕のこれからの考察に期待しよう。
逢ったことのない祖父の背中を求めながら。
僕なりの向き合いかたとただたたずまず。
これから
全労災スペースゼロ
で
催される
東日本大震災復興支援チャリティーコンサート
の
仕込み
を
お手伝いさせていただいた。
6年前の
それは
72年
に
内包
されている
と
気づいたのは
最近であり
気づいては
いたが
ふにおとす
までに
時間が
かかった
と
いう
ことに
気づいたのが
最近だ。
戦後
は
ターム
に
すぎず
戦前
も
しかり
紀元
までも
。
光
が
かわり
始めたら
、
今
しか
めにはいらない
現在が
繁殖し
過去を
蝕むばかり
か
未だ
未來をも
蝕もうと
している。
一粒
の
麦である
我々
に
ふる
光
は
変容し
水
は
みずたるや
を
なくしはじめて
大地は
なきだしている
。
幸い
声
は
きこえている。
ありがたいことだ。
原子力
という
力を
人は
内包
できるのだろうか?
便利
の
中に
未來は
内包
されているのだろうか?
今こそ
たたずみ
みみを
すまし
かくたる
勇気を
もち
刻みつづける
時の
流れを
感じ
過去に
未來を
たぐりよせ
たたずみながら
も
揺れ動こうと
おもう。
僕は
やっと
揺れはじめた。
暁を
覚えない
季節
に
己の
息吹を
添えて。
影
が
2つ
現れる
地に入れ
ば旨くいく